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45.落穂集おちぼしゅう

問答の形で保科正之の出生について語らせていますが、話の大筋としては、嫉妬深い御台様(お江)を憚って、正之は「穏便」(人知れず)に生まれ、「穏便」に養育されたということ。この点では、『徳川実紀』と大差はありませんが、享保頃(1716―36)には、既に恐いお江像が成立していたことがわかります。

とりあげた箇所は、正之の誕生の場面です(巻10)。母方の神尾家一族は、「御台様のお手前を特に恐れ入り」、御台様(お江)を憚って周りに知らせずに養育したとされます。また、それに続く部分では、歩けるようになると「日ごと門外へお出でに」なるなどしたため、さすがに周囲に知られ、御台様(お江)の耳に入ることを恐れて、住んでいた町から出て行くことを決めます。

展示資料は、大道寺友山の著。全10巻2冊からなり、江戸時代の政事や社会、文化などについて問答の形でまとめたもの。成立は享保12年(1727)。

(請求番号:210-0165)

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人物背景を知る:お江(1573―1626)

江戸幕府2代将軍徳川秀忠の正室。名は江(あるいは小督など)。父は近江国小谷城主浅井長政。母は織田信長の妹市。姉に豊臣秀吉の室で秀頼を生んだ淀殿(茶々)、若狭小浜城主京極高次の室お初(常高院)がいます。文禄4年(1595)、秀忠と再婚し、家光・忠長の二男、千姫・子々姫・勝姫・初姫・和子の五女を儲けたとされます。

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