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38.三河物語みかわものがたり

生き残った人々が、過酷な運命に見舞われるケースもありました。徳川家家臣の大久保彦左衛門忠教(ただたか)が記した『三河物語』から例を挙げてみましょう。

大坂落城時に生きながらえていた者たちは、武装解除され、女・子供も逃げ散ったと記されていますが、それに続くくだりでは、「悉く女・子供を北国・四国・九州・中国・五畿内・関東・出羽・奥州まで散り散りにとられていった」と記しています。つまり、この大きな戦いの折に、誘拐や人身売買などによって、日本全国に女・子供が売られていった状況があったということ。展示資料29の『板倉勝重書状案』で取り上げた、京での誘拐の多発、近江朽木領での女・子連れの取り調べ要請などへも繋がっていきます。

展示資料は、写本で全3巻3冊のうちの下巻。『三河物語』は元和8年(1622)の成立。徳川家と大久保家の歴史と功績を記し、子孫に対する家訓書として記されました。

(請求番号:169-0001)

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参考資料請求番号:特117-0009

参考資料は、『大坂卯年図(おおさかうどしず)』。元和元年(1615)5月、大坂夏の陣での大坂城落城の状況を描いて売り出されたもので、瓦版の始まりと言われるものです。真ん中に見えるのが大坂城。城の下方(南方)には、攻め手の「とうたういつミ(藤堂高虎)」、家康本陣の「ちゃうす山(茶臼山)」、その左手に「まさむね(伊達政宗)」らの書き込みがあります。また、城の左手には、子を抱き、背負い、手を引いて逃げる女性の姿も描かれています。

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