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11.本朝通鑑ほんちょうつがん
江戸幕府は、初期の頃から歴史の編纂に積極的でした。3代将軍徳川家光は、正保元年(1644)、儒者の林羅山に国史の編纂を命じ、羅山は、六国史の記述をもとに、神武天皇から宇多天皇に至る歴史を記し、『本朝編年録』と題して進呈しました。しかし『本朝編年録』は、明暦3年(1657)の大火で焼失。寛文2年(1662)、4代将軍家綱は、羅山の子の鵞峰に国史編纂の再開を命じ、永井尚庸を総裁として新たに編纂事業が始まります。
史料の収集、調査、執筆等は、上野忍岡に設けられた国史館で鵞峰を中心に進められ、寛文10年(1670)、神代から後陽成天皇の慶長16年(1611)までを漢文体で記した全310巻の編年史が完成(前編3巻・本朝通鑑40巻・続本朝通鑑230巻・本朝通鑑撮要30巻・附録5巻・首2巻)、『本朝通鑑』と総称されました。
清書本と中書本(最終的な清書本を作成する前の中間的な清書本)それぞれ310冊が幕府に進呈され、清書本は紅葉山文庫に収められ、中書本は将軍家綱の座右に置かれました。『本朝通鑑』の書名や形式は、司馬光の『資治通鑑』や朱熹の『資治通鑑綱目』に倣っています。
展示資料は、清書本で、紅葉山文庫旧蔵。全310冊。内閣文庫は、同じく紅葉山文庫旧蔵の中書本も所蔵。どちらも漆塗りの小箱に20冊ずつ入れられ、さらに二重の長持に収められています。
(請求番号:特002-0001)
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