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40.聚楽物語(関白物語)じゅらくものがたり(かんぱくものがたり)
『豊臣記』と同年代頃に成立した仮名草紙に『聚楽物語(別名:関白物語)』があります。この中で秀次の高野山への追放は、話の筋としては『豊臣記』と大差ありません。しかし、前段としての秀次の悪行部分はより増幅されています。
側近の人たちには、理由もなく勘気を被り、あるいはお手討ちになる人もいた。いつとなく(秀次は)人を斬ることが好きになり、罪なき人をも斬りなさる・・・ある時、御膳を召し上がっていると歯に砂が当たったので、料理人を召し、「おまえの好きな物であろう?」と、庭前の白砂を口に詰め、「一粒も残さず噛み砕け」と責めたので、命惜しさに噛みしめ、口中が破れ歯の根も砕け・・・(料理人の)右腕を打ち落とし、「助けてほしければ助けてやる」とおっしゃるので、「助けていただきたい」と申し上げると、さらに左腕を打ち落とした(後略)
些細なことで料理人の両手を切り殺害し、毎日囚人を一人ずつ斬ったため、京・伏見・大坂・堺の囚人が全て斬り尽くされたなど、残虐さがより強調された描かれ方となっています。
展示資料は、寛永頃の成立。1巻。全4冊。刊本。
(請求番号:204-0129)
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- 人物背景を知る:豊臣秀次(1568―95)
豊臣秀吉の甥で、天正19年(1591)12月から関白。しかし文禄2年(1593)、秀吉に実子秀頼が誕生すると、秀吉との関係は徐々に悪化し、同4年7月、謀反を企てたという理由で高野山に追いやられ切腹させられます。享年28。子女・妻妾ら30余人も京都三条河原で処刑されています。
- 参考資料請求番号:168-0024
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参考資料は『豊臣秀吉記』6巻(全7冊、宝永4年(1707)刊、昌平坂学問所旧蔵)。豊臣秀吉を扱った江戸中期の軍記物です。その中で秀次は、
秀次大にをごり(驕り)、悪虐を好み、しばしば城にのぼりて鉄砲をはなち、道ゆき人を打殺して、たはふれ(戯れ)とし・・・
ここでは、残虐非道さがさらに増幅されていきます。 時代を経て重ね重ね語られていくことで、あるイメージがどんどん強調されていっている様子がわかります。
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