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39.豊臣記とよとみき
まずは、秀次に仕えた小瀬甫庵(おぜほあん)(1564―1640)の『豊臣記』(別名『太閤記』)の記述から見ていきましょう。
天下の御家督(関白職)を請けてより、御行跡は乱れ、全てに浅はかになられ、諫も聞き入れられず、わがままな振る舞いは、月々重なり、年々増大し、(身分の)上の者も下の者も、大方は(秀次)を疎んだ。(秀次は)鹿狩りや夜の狩などの際にも、兵具を密かに持たせていた(中略)秀吉公に対して野心があるのだと、(身分の)上の者も下の者も噂した。(後略)
本書において秀次は、周囲の皆々から疎まれ、秀吉に対する謀反の噂が公然化していたと描かれています。ただし、この件については秀次が誓詞を差し出すことで嫌疑が解消され、その後の秀吉との関係悪化は、周囲の家臣の思惑も絡んだ、いわば互いの思いのすれ違いの中で進んでいったという描き方になっており、一方的に秀次を悪者扱いはしていません。
展示資料は、17巻(17冊目)。元和2年(1616)自跋。万治4(寛文元)年(1661)刊。全20巻22冊。
(請求番号:168-0038)
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- 人物背景を知る:豊臣秀次(1568―95)
豊臣秀吉の甥で、天正19年(1591)12月から関白。しかし文禄2年(1593)、秀吉に実子秀頼が誕生すると、秀吉との関係は徐々に悪化し、同4年7月、謀反を企てたという理由で高野山に追いやられ切腹させられます。享年28。子女・妻妾ら30余人も京都三条河原で処刑されています。
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