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41.武徳大成記ぶとくたいせいき

本資料は、林信篤らによって貞享3年(1686)に成立した書で、幕府によって徳川家康の政権確立の過程を記述したものです。本書の該当する部分をみると、

神君(家康)は、(家臣の)奥平藤兵衛貞治を(小早川秀秋の陣取る)松尾山に遣わし、秀秋が戦いに参加する事を催促した。秀秋は畏まったと申した。

と、すんなり秀秋が了解した旨を記しています。その後、秀秋は一万余騎を率いて西軍の大谷吉継の陣に向かっていくという簡潔な記述になっており、江戸時代前期の幕府の認識が現れています。

展示資料は、全30巻のうちの19巻(20冊目)。紅葉山文庫旧蔵。

(請求番号:150-0009)

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人物背景を知る:徳川家康(1542―1616)

江戸幕府初代将軍。織田信長とむすび、西三河から東海地方に勢力を拡大し、豊臣秀吉と和睦後は、豊臣政権を担う有力大名として、秀吉没後は五大老の筆頭となります。

慶長5年(1600)、家康が上杉攻めに出ている間に、石田三成ら反徳川勢力が挙兵。美濃国関ヶ原で東西両勢力が激突します。この戦いでは、数多くのエピソードが生まれています。ここでは勝敗を決した要因の一つとされる、小早川秀秋が西軍を裏切り東軍に与する場面を取り上げます。

参考資料請求番号:特043-0002

参考資料『大三川志(だいみかわし)』は、陸奥国守山藩主松平頼寛(まつだいらよりひろ)(1703―63)が最晩年に記し、のちに幕府に献上されたもの。全109巻(109冊)のうち54巻目。昌平坂学問所旧蔵。ここでは、なかなか行動を起こさない秀秋に、家康が「あの若造に売られたか」と絶句しイライラして指を噛んだこと、秀秋の陣に玉無しの鉄砲を撃たせたという行為が加えられています。また本書では、鉄砲で撃たれても秀秋は動かなかったことになっています。

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