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34.多聞院日記抄たもんいんにっきしょう
奈良興福寺の塔頭多聞院の僧英俊は、天正10年(1582)3月に不思議な現象を体験します。先頃、空の雲が焼けたように見えたそうですが、これをある老人は、甲州や信州の勢力が破れたので浅間山が噴火したのだと語っています。はたして、その後すぐに甲斐の武田家が滅亡したとの情報が入ってきました。また、最近、大風や霰、飛火、逆雨などの異変が多発し、これを、朝廷が信長の敵国(武田)の神たちをことごとく(他所へ)流したからであると解釈しています。ここで示されている解釈は、戦争は人間対人間、刀と刀を交えた血みどろの戦いと、それぞれの勢力を守護する神と神との戦いが同時に存在するという中世的な解釈に基づいています。中世の朝廷や寺社は、実は祈祷などによって精神世界での戦争を繰り広げていたのです。
展示資料は、奈良興福寺の塔頭多聞院の僧が書き継いだ日記の抄録。下巻。内容は、文明15年(1483)〜慶長4年(1599)に渡ります。全2冊。
(請求番号:163-0085)
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