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42.御実紀(東照宮御実紀)ごじっき(とうしょうぐうごじっき)

本資料は、通称『徳川実紀』とよばれているものです。林述斎(はやしじゅっさい)、成島司直(なるしまもとなお)ほかにより、天保14年(1843)に完成した幕府編纂の正史で、家康から10代家治に至る歴代将軍ごとの治績を編年体で記し、逸話については付録としてまとめたものです。全485冊。展示資料は、『東照宮御実紀』巻4(6冊目)、同付録巻10(22冊目)。紅葉山文庫旧蔵。東照宮は家康のこと。

まず本編(巻4)では、「思いもよらず、兼ねて味方に内通していた金吾秀秋をはじめ、(西軍を)裏切った者達が若干でたので」、西軍の主たる武将が討たれ軍が崩れたと簡潔に記しています。一方、付録編(巻10)では、「秀秋の旗色は何とも疑わしい。約束を違えることもあり得るだろうと家臣の久留島孫兵衛が申した所、「せがれめに欺かれたか」と家康はしきりに指を噛み、秀秋の陣のある松尾山に行き鉄砲を放って(秀秋の出方を)試してみよと命じた」との話を「天元実記」を元に掲載しており、実録的な部分の本編と逸話部分の付録とで、意識的に内容を選別している様子が読み取れます。

(請求番号:特075-0001)

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人物背景を知る:徳川家康(1542―1616)

江戸幕府初代将軍。織田信長とむすび、西三河から東海地方に勢力を拡大し、豊臣秀吉と和睦後は、豊臣政権を担う有力大名として、秀吉没後は五大老の筆頭となります。

慶長5年(1600)、家康が上杉攻めに出ている間に、石田三成ら反徳川勢力が挙兵。美濃国関ヶ原で東西両勢力が激突します。この戦いでは、数多くのエピソードが生まれています。ここでは勝敗を決した要因の一つとされる、小早川秀秋が西軍を裏切り東軍に与する場面を取り上げます。

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