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30.甲斐国妙法寺記録かいのくにみょうほうじきろく[続群書類従]

戦場での雑兵たちによる誘拐(人取り)は、人質と交換で身代金をとる、下人等として使役する、人身売買、などが目的であったと思います。そのためには、敵方の民衆も生かしておく必要がありました。

本資料は、天文15年(1546)の甲斐武田家による信濃国志賀城(現、長野県佐久市)攻めの結果を記した部分。志賀城を落とした武田家では、城主笠原清繁の妻を小山田信有が貰い受け、また男女を数多生け捕って甲斐へ連れて行き、1人2貫〜10貫文の身代金で開放しています。当然、これは戦争に勝った方の勢力が行った行為。常に勝ち続ける大名家の領民は、身体・財産の危険性が薄く、戦争の戦果で領内は潤いました。逆に弱い大名は領民の支持を失い、戦国の世から消えていきました。

本資料は、甲斐国の河口湖畔にあった妙法寺の住職が書き継いだもので、『続群書類従』(ぞくぐんしょるいじゅう)(1,018冊目)所収のもの。同書の編纂は、国学者で幕府の和学講談所を建てた塙保己一(はなわほきいち)(1746―1821)が計画し、没後は子の忠宝(ただとみ)に事業が引き継がれました。教部省旧蔵。暦応元年(1338)から永禄6年(1563)の記事を載せています。

(請求番号:216-0001)

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