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49. 俄羅斯国 エルケウ巡撫贈松前奉行満文書翰解
俄羅斯国エルケウ巡撫贈松前奉行満文書翰対訳おろしやこく

天文学者で地理学者の高橋景保(1785-1829)は、文化11年(1814)2月、30歳で書物奉行を拝命しました(天文方を兼務)。オランダ語に通じ、世界地図(『新訂万国全図』)を完成させ、また伊能忠敬の全国測量の大事業を監督するなど、高橋の業績はさまざまですが、満州語(清朝を建てた満州族の言語)の研究もその1つです。

文化元年(1804)、わが国との通商を求めて長崎に来航したロシアの使節レザーノフが示した外交文書は、当時わが国では誰も読解できなかった満州語で書かれていました。文化5年にその翻訳を命じられたことから、高橋の満州語との格闘が始まります。主な参考文献は、紅葉山文庫所蔵の『増訂清文鑑』(中国で出版された満州語の辞書)。翻訳は2年後に完成し、高橋は日本における満州語研究の第一人者になりました。

展示資料は、レザーノフ来航から9年後、文化10年に日露間で双方の捕虜(ゴロウニンと高田屋嘉兵衛)の交換が行われた際に、「俄羅斯国エルケウ巡撫」(ロシアのイルクーツク民政長官)から松前奉行にあてた、満州語で書かれた書簡の翻訳です。

展示資料のうち『満文書翰解』は、書簡の「和解」(日本語訳)と「俗解」(直訳である「和解」を普通の手紙の文章に直した意訳)の2冊。『満文書翰対訳』(全1冊)では、満州語の原文の写しの右側に漢文の逐語訳が付されています。ともに昌平坂学問所旧蔵。

高橋景保は、文政11年(1828)10月、国外持ち出し禁止の地図等をオランダ商館の医師シーボルトに提供した罪で獄につながれ、翌年2月、45歳で獄中で没しました。

(請求番号:185-0281 185-0280)

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