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12. 古事記(慶長御写本)こじき

有用の書を出版したばかりでなく、家康はまた慶長19年(1614)から翌年にかけ、公家や寺社等が秘蔵する古書・古記録を五山の僧に書写させ、これを手元に置きました。それは貴重資料を後世に伝える文化的事業であると同時に、朝廷や寺社など古い権威に排他的に蓄積された伝統や記録を掌握しようとする政治的意図の表れでもありました。のちに書物奉行を務めた近藤重蔵(1771-1829)は、紅葉山文庫の蔵書の中から、家康の命で書写されたものを「慶長御写本」として別置し、貴重書として扱うよう提唱しました。

展示資料は、家康の没後、駿府城から江戸城に移された本で、京都神竜院所蔵の『古事記』を書写した、慶長御写本の1つ。家康の蔵書には、本書のほか『先代旧事記』『釈日本紀』など32部の慶長御写本が含まれていましたが、うち5部が明治6年(1873)5月の皇居の火災で焼失しました。全3冊。紅葉山文庫旧蔵。

(請求番号:特058-0001)

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