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22. 肥州長崎図ひしゅうながさきず

唐船で長崎に運ばれた荷は、まず新地の「唐人荷物蔵」に収められました。書籍はその後「聖堂」(儒学の学問所)に移され、書物改役の向井氏らによってキリスト教関係記事の有無をチェック。改めが済んだ書籍のうち、紅葉山文庫など幕府に納める分は、代官の高木氏の屋敷へ運ばれ、その他は長崎会所で入札が行われ、売却されました。長崎の「聖堂」は、儒者の向井元升によって開設され、正徳元年(1711)に中島川の畔に移転、中島聖堂と呼ばれていました。

展示資料は、安永7年(1778)刊の長崎市街図。図中に唐人荷物蔵、聖堂、代官所など、江戸時代の漢籍輸入に関係した諸施設が見えます。全1鋪。

(請求番号:177-0735)

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