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48. 右文故事ゆうぶんこじ

エトロフ島など北方探検で知られる近藤重蔵(名は守重。号は正斎。1771-1829)は、文化5年(1808)2月、38歳で書物奉行を拝命。文政2年(1819)2月に大坂弓矢奉行に転ずるまで、11年間在職しました。貴重書の取扱いについて建言し、目録の改訂に着手するなど、書物奉行の職務に意欲的に取り組んだ近藤は、また紅葉山文庫の貴重資料を研究し、その成果を後世に伝えました。

『右文故事』は、「御本日記附注」(家康没後、江戸城に移された書籍について林羅山が記した「御本日記」の解説)、「御代々文事表」(家康から吉宗まで、歴代将軍の学芸関係年表)など、紅葉山文庫の沿革と貴重書に関する考証をまとめた書。文化14年(1817)に幕府に献上されました。

近藤重蔵はその後、長男の富蔵が起こした事件に連座して近江国大溝藩主分部家に御預けの身となり、文政12年(1829)、同地で59歳で没しました。展示資料は全10冊。昌平坂学問所旧蔵。

(請求番号:218-0064)

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