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34. 浅草寺志地誌せんそうじし

因幡国若桜(わかさ)藩の老公池田(松平)定常(いけださだつね 1767―1833)が編纂した浅草寺とその周辺の地誌。

定常はみずから実地調査しただけでなく、多数の家臣を派遣して、碑銘の書写や門楼・橋梁・老木等の実測とスケッチを行わせました。これら綿密な調査の末、文化10年(1813)に脱稿。さらに校訂を加えて、文政3年(1820)に本書が完成しました。

文化10年に序を寄せた市橋長昭(いちはしながあき)は、近江国仁正寺(にしょうじ)藩主。池田定常、毛利高標(もうりたかすえ 豊後国佐伯藩主)とともに「文学の三侯」と讃えられた好学の殿さまです。

旗本池田政勝の次男として生まれた定常は、鳥取藩の支藩若桜(当時の藩名は鳥取新田。明治元年に若桜藩と改称。2万石)藩主池田定得(さだのり)の養子となり、安永2年(1773)に同藩主に。享和元年(1801)に35歳で隠居。その後は読書と著述に明け暮れる悠々自適の生活を送り、天保4年(1833)に67歳で没しました。冠山・天山・不軽居士・冕嶠陳人ほかの号があり、池田冠山の称がよく知られています。

展示資料は、旗本朽木綱泰(くつきつなひろ)の旧蔵。全30冊。

(請求番号:192-0306)

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