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16. 内藤左京大夫義泰家訓ないとうさきょうだゆうよしやすかくん

陸奥国平藩主内藤義泰(1619―85)が、延宝5年(1677)に子の義英に与えた家訓。

居城を堅固に保つ事、家臣に慈愛をもって接する事、婚姻の仲立ちや喧嘩の仲裁をしてはならない事、酒宴遊興に耽らない事など23ヶ条の訓戒が述べられています。

内藤義泰(はじめ頼長、義概)は、寛文10年(1670) から貞享2年(1685)まで平藩主(7万石)。歌人・俳人としても知られる文化人で、中院通村に学び、宗因や季吟とも交遊がありました。貞享2年没。享年67歳。嫡男として家訓を授けられた義英は、のちに病のため後継者の地位を辞し、義英の異母弟の義孝が家督を相続し、次の藩主となりました。

展示資料は、駿府町奉行、浦賀奉行、大坂町奉行などを歴任した旗本戸田氏栄(1799―1858)が編纂した『警箴叢彙』(けいしんそうい)の2冊目に収められた『内藤左京大夫義泰家訓』。『警箴叢彙』は諸書から各種の教訓を抄録した書で、全4冊。戸田氏栄自筆本。明治13年(1880)に内務省購入。

(請求番号:158-0555)

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