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14. 明君文武蹟めいくんぶんぶせき

大和国郡山藩主本多忠常(ほんだただつね 1661―1709)を顕彰してその言行を記した書。著者は、砲術家で兵法家の片島(のちに大野)武矩。同人は序文で、かつて郡山に滞在した折に忠常が明君(名君)であることを実感したと述べています。

忠常は、元禄8年(1695)から宝永6年(1709)まで郡山藩主(12万石)でしたが、その間、火災を速やかに消して江戸城に火の手が及ぶのを防いだ功で幕府から賞された(『寛政重修諸家譜』)ほかは、特に際立った事績は伝えられていません。しかし本書によれば、忠常は、文武に精進し、質素倹約に努め、礼敬を重んじる慈悲深い殿さまだったとか。これら名君の一般的な条件に加えて、忠常が性愛に禁欲的だったことも特筆されています。

展示資料は、享保3年(1718)刊。全2冊。

(請求番号:158-0408)

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