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印刷するには?20. 南亭余韻なんていよいん
出羽国米沢藩(15万石)の藩主上杉治憲(うえすぎはるのり 1751―1822)が子女や家臣に与えた教戒を、米沢藩士小田切盛淑が文政13年(1830)に編集したもの。
書名の「南亭」は、治憲が隠居後の住居として米沢城三の丸に設けた餐霞館(さんかかん)の別名。家督を継いだ治広に藩主の心得を説いた「伝国の辞(詞)」、上杉斉定(治広の次の藩主)に嫁ぐ三姫に与えた「老が心」などが収められています。
日向国高鍋藩主秋月種美の次男として生まれた治憲は、米沢藩主上杉重定の養子となり、明和4年(1767)に襲封。領内の農村支配機構の整備、産業開発など積極的な藩政改革によって、破綻した藩財政の立て直しに努めました。治憲はまた儒者の細井平洲(へいしゅう)を米沢に招き、藩校興譲館を設けるなど文教の振興に力を注いだことでも知られています。
天明5年(1785)、35歳で隠居して家督を養子の治広(養父重定の子)に譲りますが、その後も藩主を後見。享和2年(1802)から鷹山(ようざん)と号し、文政5年(1822)に72歳で没しました。
その業績と言行は、本書のほか米沢藩士莅戸(のぞき)善政『翹楚篇』(ぎょうそへん)等にまとめられ、上杉治憲(鷹山)は名君として全国に知られるようになります。明治以後も修身の教科書に登場し、内村鑑三『日本及び日本人』(のちに『代表的日本人』)でも、日蓮、中江藤樹、二宮尊徳、西郷隆盛とともに取り上げられています。
展示資料は、明治13年(1880)の内務省購入本。全5冊。
(請求番号:190-0224)
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