大名の「花押」
当館所蔵の「多聞櫓文書」(江戸城多聞櫓内に残されていた幕府の公文書類)のなかには、幕末期に大名から幕府に差し出された書状が多数含まれています。これらの書状によって、私たちは当時の大名がどのような花押(かおう)を用いていたかを知ることができます。
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*拡大画面の記述は、【上段】が大名(老公を含む)の姓名の読み。【下段・左】は藩名とその石高。【下段・右】は藩主就任の年と退任の年。ただし明治2年(1869)の版籍奉還後、同4年(1871)の廃藩置県までの知藩事(ちはんじ)の在任期間も含めています。
花押は、判・書判(かきはん)・押字(おうじ)とも呼ばれる図案化された署名(サイン)のこと。花押にはさまざまな形状や様式がありますが、ここで紹介するのは、花押の輪郭を印章にして押したのち、輪郭の内側を墨で塗った籠字(かごじ)式の花押型です。輪郭をはみ出さぬように細心の注意をして墨を塗る、まるで塗り絵のような花押は、江戸時代に入って流行しました。それにしても何故このような花押が作成されたのでしょうか。将軍など貴人に対する尊崇の念を表するために、ことさら手間の掛かる方法が用いられたと思われます。