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11. 千年の松ちとせのまつ

陸奥国会津藩主保科正之(ほしなまさゆき 1611―72)の言行録。同藩士の大河原臣教によって文政11年(1828)にまとめられました。

慶長16年(1611)に2代将軍秀忠の四男として誕生した正之は、武田信玄の娘で穴山梅雪の妻だった見性院のもとで育てられたのち、信濃国高遠藩主保科正光に養子入りして同藩主となり、出羽国山形藩主を経て、寛永20年(1643)に会津藩(23万石)の藩主になりました。

3代将軍家光の異母弟である正之は、家光の遺言で4代家綱を補佐して幕政を支えるとともに、藩主としては社倉制度等によって領内の民生を安定させ、また朱子学と神道を軸とした会津藩文教政策の基礎を築きました。寛文12年(1672)没。享年62歳。諡号(おくりな)は土津(はにつ)霊社。

本書には、明暦の大火で焼失した江戸城天守閣の再建案に対して、今は国力を費やすべきときではないと反対した話や、「牛裂」「釜煎」等の酷刑を嫌ったことなど、正之の深謀遠慮を物語る逸事が収められています。

展示資料は、昌平坂学問所旧蔵。全4冊。

(請求番号:158-0341)

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