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47.遠西武器図略えんせいぶきずりゃく

伝統的な武器では西洋諸国とは戦えない。深刻な危機感を抱いて西洋の進んだ武器を研究する知識人もいました。市川兼恭(いちかわかねたか 通称は斎宮。1818-99)もその一人です。広島の藩医の家に生まれた彼は、緒方洪庵(おがたこうあん)や杉田成卿(すぎたせいけい)に蘭学を学び、佐久間象山に師事。福井藩に招かれて同藩の軍備近代化を指導したのち、嘉永6年(1853)に幕府天文台の翻訳御用を仰せ付かりました。文久3年(1863)に開成所教授職。市川はわが国における、ドイツ学の草分けであり、同時に西洋の活版技術を最初に実用化した人としても知られています。

『遠西武器図略』は、市川がオランダのオーフルストラーテン著『砲術ハンドブック』(1850年刊)の付図と図解編を訳したもので、ペリー来航後まもない嘉永6年(1853)9月の刊。カノン砲・歩兵銃・ピストル等の精密な図が掲載されています。全1冊。

遠西武器図略

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