激動幕末 −開国の衝撃−トップへ

ここから本文

18.日本行記にほんこうき

浦賀沖に現れたペリーの艦隊には、のちにその作品が『ペルリ提督日本遠征記』の挿絵に採用されることになる一人の青年画家が随行していました。青年の名はハイネ(1825-85)。ドレスデン生まれのドイツ系アメリカ人でこのとき26歳。彼はケープタウン、シンガポール、香港、下田など、ペリー艦隊が寄港した各地でスケッチを描きながら、祖国ドイツの肉親にあてた手紙の形式で折々の印象や体験を文章にしました。これらの原稿をまとめた『世界周航日本への旅』がライプチヒで刊行されると(1856年)、その評判はヨーロッパ中に広がり、フランス語版やオランダ語版も出版されました。

資料の『日本行記』はハイネの 『世界周航日本への旅』の日本語訳。オランダ語版を手に入れた幕府が、情報収集のため蕃書調所(ばんしょしらべしょ)(資料27参照)に命じて翻訳させたものです。全5冊。

日本行記

ボタンをクリックすると資料画像が表示されます

本文ここまで




ページここまで