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33.畢洒林氏万国公法フヒスリンクしばんこくこうほう

西欧諸国の科学の進歩と軍事力の強大さが明らかになるにつれて、そのような発展の背景にある政治制度や法体系への関心も高まりました。

『畢洒林氏万国公法』は、文久2年(1862)、蕃書調所から津田真道(つだまみち)らと共にオランダに派遣された西周(にしあまね 周助。1829-97)が帰国後に翻訳した、ライデン大学教授フィッセリングの万国公法(国際法)の講義筆記です。「公法の総論」「平時泰西公法の条規」「戦時泰西公法の条規」「万国聘問往来の条規併に法式」の4巻から成り、全4冊。翻訳は慶応2年(1866)の末に完了し、同4年夏に刊行されています。西と津田が2年間受講したフィッセリングの講義は、性法(自然法)・万国公法・国法・経済・統計の5科目で、講義内容を書き記したノートが本書の「原本」であると、西は序文で述べています。

西周は帰国後、開成所教授職に任ぜられ、大政奉還の際には徳川家を中核とした政治体制のプラン(議題草案)を将軍慶喜に提出しましたが、実現せず、維新後は、森有礼(もりありのり)、中村正直加藤弘之らと明六社(めいろくしゃ)を結成するなど思想家として活躍しました。

畢洒林氏万国公法

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