ここから本文
レザーノフの来航(1804年)と相次ぐ異国船の接近、そしてなによりフェートン号事件(1808年)の衝撃は、幕府に長崎港の防備体制強化の緊急性を痛感させました。
『御備一件諸絵図』には、長崎奉行から老中に差し出した港内防備の図(「湊内固場絵図」)や新設された砲台の図(「新規台場取立場所絵図」)など、文化4年(1807)から同6年にかけて作成された長崎港防備の関係絵図が収録されています。全1帖。
ボタンをクリックすると資料画像が表示されます
本文ここまで
ここからメニュー
メニューここまで
ページここまで