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30.気海観瀾広義きかいかんらんこうぎ
異国船の来航と開国の衝撃は、知識人たちの間に、医学や地理学ばかりでなく、西洋の科学をより体系的に学ぼうという気運をもたらしました。
物理学の研究では、ゴロウニンの『日本幽囚記』等の翻訳でも知られる青地林宗(あおちりんそう 1775-1833)がオランダ人ボイスの著に基づき『気海観瀾』を著し(1827年刊)、先駆者と目されていましたが、青地の娘婿の川本幸民(かわもとこうみん 1810-71)は、漢文で要点のみを記した『気海観瀾』の内容に飽き足らず、その増補を試みます。嘉永3年(1850)に完成したのが、資料の『気海観瀾広義』。全15巻の内容は、費西加(ヒシカ=窮理学、物理学)の意義に始まり、物性、運動、熱、光、電気、磁気におよび、天体や光学器械についても詳しく解説されています。全15冊。嘉永4年(1851)から安政5年(1858)まで、全巻刊行に8年を要しました。
川本幸民、名は裕。摂津三田藩の医者で、のちに鹿児島藩主島津家の家来。蕃書調所の教授手伝を経て、文久2年(1862)に洋書調所の教授職を拝命しました。彼はまた日本で最初にビールを醸造した人として、日本ビール史にその名が刻まれています。
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