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21.環海航路日記かんかいこうろにっき

安政の五ヶ国条約は、関税自主権がない上に領事裁判権の条項を含む不平等条約でしたが、条約で通貨は同種同量のものと交換すると定められたことも、わが国の政治経済に大きな混乱をもたらしました。条約の規定では、日本の銀貨は同じ重さの外国銀貨と交換できるというのですが、当時日本国内では金と銀の価値の比率(金銀比価)が国際相場と著しく異なっていたため(国際相場では金の価値は銀の15倍なのに対し、日本では6倍ほど)、貿易が始まると外国人は競って日本で外国銀貨を日本金貨に換えて海外に持ち出し、大量の金が国外に流出することになったのです。

金の流出を防ごうと、幕府は金含有量3分の1の小判を発行して銀に対する金の価値を上げますが、その結果物価が高騰し、人々の生活を圧迫。幕府に対する批判を煽り、同時に外国人排撃(攘夷)の動きを促しました。

『環海航路日記』は、安政7年(万延元年 1860)に日米修好通商条約の批准書交換のための遣米団に医師として随行した広瀬保庵(ひろせほあん 1808-65)の日記。

安政7年1月22日にポーハタン号で日本をあとにした保庵は、途中ハワイで風呂を浴びた時、その料金が日本の通貨に換算したとき異常に高いことに気がつきます。日本では一分銀(いちぶぎん 1分は1両の4分の1)3枚で1ドル銀貨と交換されていたのですが、この同種同量の原則だと、日本の通貨の価値が適正に評価されないことを、彼は海外で肌で感じたのでした。万延元年刊。全2冊。

環海航路日記

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