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昇進の理由(多聞櫓文書)

[請求番号 多002174]

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大鳥圭介(おおとりけいすけ)(1833-1911)

軍備の近代化と軍制の改革をはかる幕府は、歩兵・騎兵・砲兵の「三兵」からなる陸軍を編成したのち、慶応2年(1866)に横浜に三兵伝習所(陸軍調練所)を開設。翌3年、フランスから招いた軍事教官の指導の下、大規模な演習を実施しました。

展示資料の「歩兵差図役頭取勤方被仰付度ニ付大鳥圭介大築保太郎身分之儀ニ付奉願候書付」は、慶応2年1月の陸軍奉行の上申書。今後「三兵」の調練や演習を円滑に行うにあたって、大鳥圭介や大築保太郎のような語学堪能で専門知識に富んだ士官が不可欠であることを述べ、特段のはからいをもって両人を「小十人格歩兵差図役頭取勤方」に昇進させ、相応の俸給を下されたいと記されています。

大築保太郎(名は尚志。1835-1900)は、下総国佐倉藩士の子として生まれ、洋学を学び、元治2年(1865)に大鳥と共に幕臣に取り立てられました。維新後は沼津兵学校の教授を務めたのち、陸軍の砲兵局長、砲兵監などを歴任し、明治32年(1899)、陸軍中将に。陸軍砲兵科の重鎮として知られています。


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