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誕生・出生届(官府御沙汰略記)(かんぷごさたりゃっき)

[請求番号 165-0044]

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資料でたどる幕臣たちの人生の節目。まずはその誕生をめぐる記録をご紹介しましょう。

江戸小石川に屋敷があった幕臣小野家の29年間にわたる日記『官府御沙汰略記』(全28冊)には、出産の記事も多数見えます。宝暦7年(1757)2月22日の、当主小野直泰(通称は庄兵衛。当時は一橋家の大番組頭)の長男出産に関する記事も、そのひとつ。

直泰の妻「おれん」が産気付いてから、医者や子取婆(産婆)が呼ばれ無事出産するまでの経過、および産後の母子の状態や親族の来訪等が事細かく記されています。この日誕生した男子は、甚蔵(直英)と命名され、明和5年(1768)に12歳で元服。翌年、将軍に初めてのお目見(「初御目見」)をしています。

ところで甚蔵の「出生届」は4月21日まで、実に2ヶ月も上司に提出されませんでした。なぜか。理由は直泰が「おれん」を後妻に迎える「縁組願」を提出して間がなかったから。もっともそうでなくても「出生届」の提出は遅れるケースが多く、たとえば小野家の親戚の桑原盛利(のちに大坂蔵奉行)の長男の「出産届」は、産後4ヶ月半以上経ってようやく提出されました。


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