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武備目睫(ぶびまつげ)

[請求番号 153-0338]

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水野十郎左衛門(みずのじゅうろうざえもん)(?-1664)

すぐれた著書や貴重な資料集を後世に残した異才ではありませんが、水野十郎左衛門もまた、泰平の時代になじまない奔放な行動で異彩を放った旗本でした。旗本奴と呼ばれた“かぶき者”の中心人物だった彼は、幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)を首領とする町奴と対立。長兵衛を屋敷に招いて殺害したことでも知られています。

展示資料の『武備目睫』は、鵜飼平矩の草稿を松宮観山(儒者で兵学者、国学者)が息子の松宮俊英に校訂させ、元文4年(1739)に成立した書。この書の中で、鵜飼は水野十郎左衛門の最期の様子を詳しく紹介しています。人並みはずれた乱暴者で、幾多の殺傷事件を起こし、終に幕府に切腹を命じられた水野でしたが、死に様は実に見事だったというのです。彼の「切腹」は人々の意表を突き、潔いものでした。水野十郎左衛門成之は、生涯を閉じる瞬間まで、既成の秩序や常識に反抗し“かぶき者”の美学を貫き通したようです。全2冊。


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