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大鳥圭介(おおとりけいすけ)(1833-1911)
緒方洪庵の適塾(大坂)で蘭学を学んだのち、大鳥圭介は、江戸に出て蘭方医坪井忠益に入塾。さらに江川塾で兵学を修め、中浜万次郎に英語を学びました。その語学力と西洋砲術等の知識を買われた大鳥は、元治2年(1865)に幕臣に採用され、幕府陸軍の近代化に力を注ぎました。
展示資料は、慶応3年(1867)、35歳の年に当時歩兵頭並だった大鳥が提出した「明細短冊」と呼ばれる履歴書の一種。これまでの経歴のほか、出身地、父祖の名、高(俸給)や役金(役職手当)、現住所まで詳しく記されています。
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