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「老衰御褒美」の願書の実例をご覧ください。
展示資料の「砲兵之者老衰御褒美奉願候書付」「撒兵之者老衰御褒美奉願候書付」は、それぞれ、慶応3年(1867)10月と11月に、幕府の砲兵頭と撒兵頭から、配下の天谷万平(砲兵)と渡辺恒蔵(撒兵)に老衰御褒美を下されたいと願い出た文書です。
このとき天谷は75歳で渡辺は79歳。共に「数年」(長年)怠りなく「実躰相勤」(真面目に勤務し)、「御咎」(遠慮・逼塞などの謹慎処分)を科されたことがなく、現在は高齢のため歩行も不自由で職務を全うできないというのが願書提出の理由でした。
西欧諸国の軍備に衝撃を受けた幕府は、文久2年(1862)に歩兵(撒兵)・騎兵・砲兵の「三兵」から成る将軍直属の常備軍を編成したのち、フランスから軍事教官を招いて大規模な演習を実施するなど、軍事力の近代化(強化)に努めていました。ところが現実は・・。なんと75歳の「砲兵」や79歳の「撒兵」が含まれていたのです。老衰御褒美の願書によって、幕府の実態の一端がうかがえます。
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