ここから本文
幕臣たちの日常的な勤務の様子を伝える資料は、なかなか見つかりません。たとえ記録されたとしても、そのほとんどが永く保存されることなく廃棄されたからです。
幕末維新の混乱の結果、江戸城の多聞櫓に置かれていた多聞櫓文書の中には、通常なら、廃棄されたり再生紙の原料にされてしまうはずの幕臣のごく日常的な記録が多数残っています。
展示資料の『御番判形帳』(ごばんはんぎょうちょう)も、そのひとつ。それは文久4年(元治元年 1864)の腰物方(役方として将軍の佩刀の保管や手入れ等を担当する)の出勤簿。文久4年は、水戸天狗党の挙兵、池田屋事件、禁門の変、第一次長州戦争と、幕府にとって多事多難な年でした。出勤日にはそれぞれの花押を記し、病欠のときは「煩」と記しています。ほかに「御様ニ付加番」(刀剣の試し斬りが行われるので臨時出勤)など興味深い注記も。全1冊。
本文ここまで