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はつか艸(はつかぐさ)

[請求番号 159-0092]

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能勢頼一(のせよりかつ)(1690-1755)

江戸町奉行の根岸鎮衛(1737-1815)や遠山景元(1793-1855)の身体には刺青が彫られていたと伝えられています。俗説に過ぎないのか、それとも多感な青年時代の痕跡だったのか。真相はさだかでありませんが、いずれにしろ両者とも、幕臣として出世する前に庶民と親しく交わり下情に通じていたことから、このような話が広がったようです。

江戸の庶民の実情に通じていた町奉行は根岸と遠山の二人だけではありません。彼らよりずっと早く延享元年(1744)に町奉行になった能勢頼一もそのひとり。展示資料の『はつか艸』には、新吉原の遊女たちを評定所で取り調べた際の、能勢と遊女たちのやりとりが活き活きと(まるでお芝居のように)記されています。甚四郎と呼ばれていた当時顔見知りだった能勢がお奉行様として現われたので、遊女たちは「まあ、誰かと思ったら甚さまじゃない、お久しぶり」(意訳)と大騒ぎ。能勢の方も、酒に酔って彼女たちに世話になった昔のことなどを親しげに語ったとか。

『はつか艸』の書名は、大屋某を中心とする仲間が毎月20日に寄合った際に出た話題を書きとめた書であることから。昌平坂学問所旧蔵。全1冊。


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