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騎兵の軍服を新調したい旨(多聞櫓文書)

[請求番号 多700109]

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成島柳北(なるしまりゅうほく)(1837-84)

慶応2年(1866)、横浜に陸軍の調練所(三兵伝習所)を設けた幕府は、翌年、フランスから軍事教官を招いて大規模な演習を実施します。当時騎兵頭並だった成島柳北(甲子太郎)も、これに参加しました。

展示資料の「横浜伝習騎兵胴服細袴新規御出来之儀申上候書付」は、訓練を受けている騎兵の軍服(胴服と細袴)に傷みが目立ち見苦しいので、横浜で各140着を新調したい旨を述べた文書です。慶応3年(1867)3月、藤沢志摩守(歩兵奉行)、倉橋長門守(騎兵頭)、成島甲子太郎の連名で提出され、同年5月に小栗上野介(忠順 勘定奉行)らによって承認されました。


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