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65. 巣鴨車庫前〜志村橋間「都電」の廃止
東京都総人口は、昭和30年(1955)には800万人に達しましたが、その後、人口増加の速度は鈍り始めます。特に、都心部では人口増加が停滞し、千代田区・中央両区では人口の減少傾向さえ生じました。一方自動車や地下鉄等の新しい交通手段の整備が協力に推し進められました。その結果、都心部を中心に路線網を広げてきた東京都交通局の路面電車=「都電」は、利用者の減少に直面することとなります。
昭和38年度には、新宿1丁目〜荻窪間等3路線10キロメートル余りが廃止され、その後も、代替交通機関の整備を待って都電を廃止することとなりました。資料は、昭和41年(1966)5月、都営地下鉄6号線の建設に伴い、これと並行する都電路線の廃止が許可された際の決裁文書です。
- 昭和22年 東京都23区当時の東京
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