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62. 首都高速道路計画の検討について
昭和34年(1959)6月、首都高速道路公団が発足し、東京都の区の存する区域とその周辺地域に、有料の自動車専用道路を建設することとなりました。
同年5月、5年後のオリンピック大会開催が決定。1号、2号、3号、4号各線と4号分岐線がオリンピック関連道路として優先的に建設されることとなりました。この結果、昭和37年(1962)12月に1号年京橋〜芝浦間4.5キロメートルの供用を開始。昭和39年(1964)10月の第18回オリンピック東京大会開催までに関連路線32キロメートルが開通しました。
資料は、昭和37年(1962)1月に建設省都市局から東京都に「首都高速道路計画の検討」について通知した際の決裁文書です。既定計画の再検討を強力に進めること、河川敷・公用空地等を首都高速道路用地として利用する際、将来の道路計画に支障を来さないように十分配慮することを求めています。
請求番号:昭53建設38600060
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