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34. 東京の上水道計画を認可

東京市区改正委員会は明治21年(1888)10月から翌年3月まで28回の会議を開き、東京市区改正設計案を山県内相に答申、政府はこれを決定しました。しかし、財源確保は容易でなく事業化は難航しました。明治27・28年(1894・95)の日清戦争ののちには、水道・電気・鉄道・軌道・道路・橋梁等の事業化促進を求める声が強まり、市区改正の計画全体を見直すこととなり、明治36年(1903)3月、「市区改正設計」が最終決定にいたりました。

これとは別に、上下水道敷設計画が策定され、明治23年(1890)7月に「東京市区改正水道設計」として決定されました。明治31年(1898)12月、この計画に基づいて建設された淀橋浄水場(現在は「新宿新都心」に変貌)が通水を開始。東京の近代水道の歩みが始まります。資料は、水道設計認可時の「東京市水道設計図面」です。

明治22年 市制町村制当時の東京
明治22年 市制町村制
  • 東京市界
  • 東京府界
東京市区改正水道設計ヲ認可ス

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請求番号:類00513100

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