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10. 東京警視庁を設置

明治の初め、旧幕臣の抵抗等もあり、東京の治安は乱れていました。明治新政府は、最初薩摩・長州等から、その後関東地方の諸藩から兵を出させて、府内の取締りをさせました。

廃藩置県後の明治4年(1871)10月、邏卒(らそつ)制度が新たに導入され、旧薩摩藩士などから、3千名の邏卒が採用されました。邏卒は、一般には「ポリス」と呼ばれ、剣の代わりに、こん棒を携帯して東京の治安維持にあたりました。

明治7年(1874)1月、東京警視庁が設置されました。長官には、邏卒制度導入以来「ポリス」の拡充に力を注いできた川路利良(かわじとしよし)が就任。また、邏卒は巡査と改称されました。

なお、東京警視庁の長官は、当初「警視長」と呼ばれましたが、「警視庁」と同音であるのが「事務上不都合」であるとして、同年10月に「大警視」を長官としました。

東京警視庁ヲ置キ官等ヲ定ム

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請求番号:太00240100

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