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4. 東京府を設置

「江戸を東京と称す」との詔書が発せられた慶応4年(1868)7月17日、江戸府に代わって、東京府が設置されました。東京府設置の趣旨は、「江戸を東京と称す」の副書において、概略次のように述べられています。

「幕府が開かれて以来、江戸は繁栄し天下の財貨が集まったが、政府廃止後は生計を立てるのに苦しんでいる者もいる。『世界各国通信』の時代においては、全国の力を平均して強めていかなければならない。東京府民は、ぜいたくに慣れることなく、自らの職業に精励し、産業を盛んにしていくよう努めなければならない。」

なお、東京府が当初管轄したのは、江戸時代後期に「朱引内(しゅびきうち)」と呼ばれた町奉行所管轄地域に、ほぼ限られていました。現在の23区制にあてはめると、千代田・中央・港・文京の各区全域と、新宿・台東・墨田・江東各区の一部地域に相当します。

文久元年 朱引内図当時の東京
文久元年 朱引内図
  • 墨引
  • 朱引
市政裁判所ヲ廃シ東京府ヲ置ク

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請求番号:太00062100

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I 東京と西京
II 江戸から東京へ
III 帝都への道
IV 東京再生

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