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30.地域からの申請 ―普代水門建設のための土地収用認定
岩手県下閉伊郡普代村に建設された「普代水門」は、このたびの東日本大震災に際し、住民を守った防潮水門として注目を集めました。三陸沿岸に位置する普代村は、明治29年(1896)と昭和8年(1933)の大津波を経験し、多くの犠牲を出したという教訓から、太田名部防潮堤および普代水門の建設に着工しました。普代水門は総延長205m、高さ15.5mにおよぶ巨大建造物で、総工費35億6,000万円と12年の歳月を費やし、昭和59年(1984)に完成しました。
当館には、この「普代水門」が土地収用法に基づく認定を受けた際の一連の文書が、建設省から移管されています。「土地収用法」(昭和26法律219)第1条には、本法の目的として「公共の利益となる事業に必要な土地等の収用又は使用に関し、その要件、手続及び効果並びにこれに伴う損失の補償等について規定し、公共の利益の増進と私有財産との調整を図り、もつて国土の適正且つ合理的な利用に寄与する」と記されています。岩手県は、土地収用によって、円滑に「普代水門」の建設を進めようとしたことがわかります。
昭和55年4月26日に岩手県知事から出された事業認定申請書には、集落や公共施設を津波の被害から守るために、防潮ゲートや防潮堤を築造したい旨が述べられています。あわせて、明治29年・昭和8年の津波被害図や現況写真等も参考資料として提出されました。建設省計画局ではこれらの提出資料を精査し、土地収用法第20条が規定する4条件(土地を収用し、又は使用する公益上の必要があるものであること等)を満たすと判断したため、本事業「普代海岸高潮対策工事」のための土地収用を認定しました。その結果は、7月22日に建設省告示第1334号として岩手県に伝えられ、同日の官報にも掲載されています。
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