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12.米国から返還された公文書

敗戦にあたって、連合国による公文書の接収がなされました。連合国軍最高司令官総指令部(GHQ)は、戦争裁判の証拠資料収集という目的で軍部や行政機関に立入り、公文書や図書の接収に着手しました。接収部隊が到着したのは昭和20年(1945)11月末でしたが、これ以前に日本側の手によって焼却された文書も数多くあったといいます。接収された文書の多くはワシントン文書センター(WDC)を経て、米国議会図書館(LC)に保管されました。

接収当時は、疎開していた公文書の復帰とも重なり、さらに接収後直ちに返還される文書もあるなど、文書管理は混乱を極めた状況でした。接収された公文書の全体像は今なお不明のままです。

接収文書のまとまった返還は、これまで2回行われました。当館開館以前の昭和31年(1956)、約1万6800冊の旧軍関係文書の交渉がまとまり、昭和33年に防衛庁防衛研修所戦史室に返還されました。

昭和49年(1974)1月14日には、150ケース(約2,200点)分の文書が当館に搬入されました。このとき返還された文書の内容は、ケースに赤い付箋が貼られた旧陸海軍関係(=返赤)、青い付箋が貼られた内務省等関係(=返青)に大別されます。後者は、思想犯の取締りや出版物差押といった警察関係が多くを占めていますが、一部各省や民間企業等によって作成された文書も含まれています。

今回は、「返赤」より大砲に関する調査研究資料を、「返青」より特高関係資料公文雑纂(昭和19年、内務省から内閣へ提出された法令・規則以外の文書綴)を展示しました。公文雑纂の表紙には英字の書き込みが見られ、接収の事実を表しています。

関連資料返赤・返青のカートンボックスと中身

国立公文書館への文書返還時に使用されていた、返赤・返青のカートンボックスです。

2枚目の写真は、返青29番のボックスに入っていた文書です。ひとつのカートンボックスに、多様な種類の文書が含まれていた様子がうかがえます。なお、いちばん手前に見える資料は米軍撒布の伝単です。

返赤・返青のカートンボックスと中身(写真点数:2点)
30年式Bofors山砲
特別高等警察執務心得
昭和十九年・公文雑纂・内務省

※写真をクリックすると拡大画像が表示されます

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