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28.地域からの陳情(1) ―昭和戦前期の東北振興
昭和初期の東北地方は冷害による凶作が続き、特に昭和9年(1934)の大飢饉によって東北の生活は大きく疲弊しました。東北六県の知事は連名で、内閣総理大臣・各大臣宛ての申請書を提出しています。東北が独自に抱える問題点とこれに対する支援の必要性が述べられるとともに、その具体的解決のため「東北地方振興ノ根本計画ヲ樹立スルノ為メ速ニ東北振興調査会ヲ設置セラレタシ」と要望しました。
同年末には「東北振興調査会官制」(昭和9勅令346)により、内閣総理大臣の諮問に応じて東北振興方策を答申する「東北振興調査会」が設けられました。本調査会は、昭和13年に解散するまでに数々の答申を出しましたが、そのひとつである「東北振興事務局」の設置は昭和10年に実現しました。内閣に置かれた事務局は、東北振興政策における各省との「綜合連絡事務」としての役割を担いました。
展示資料は、宮城県牡鹿郡女川町長の須田金太郎から東北振興事務局に提出された陳情書です。日本有数の漁港であり、大型船の着港にも適していた女川港の修築が請願されており、そのための予算や調査報告などとともに、女川町が作成したパンフレット『自然乃良港女川港』が添えられています。これら道路・河川・鉄道の整備や雪害対策などを訴えた陳情は、昭和戦前期、東北各県の自治体や組合から多数寄せられました。
その後、調査会からの答申に基づき、昭和11年に東北興業株式会社・東北振興電力株式会社が設置されたことを受け、内閣東北振興事務局は「内閣東北局」と改称するとともに、これら2社の監督にあたりました。
- 関連リンク
- 大島一郎「内閣東北局資料ならびに関連事項について」(『北の丸』第16号)(別ウィンドウで開く)
- 関連画像
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