ここから本文
4.小笠原島写真
平成23年(2011)に、世界遺産リストへの登録で注目された小笠原諸島を、明治8年(1875)に撮影した写真です。小笠原諸島は、19世紀よりその所有をめぐって、日・英・米の間で対立がみられました。文政10年(1827)に英国領が宣言されますが、天保元年(1830)には米国人セボリーが移住し、開拓に着手しました。嘉永6年(1853)にはペリーが父島を一部買収したことにより、英・米の対立は一層深まることになりました。
その後日本側の動きとして、文久元年(1861)に幕府が日本領を宣言し、八丈島住民を移住させて開拓を始めましたが、同3年における生麦事件の勃発により英国との関係が悪化したため、一時撤退を余儀なくされました。
明治に入り、英国公使のパークスによる小笠原島帰属の質疑をきっかけに、明治政府は小笠原島の調査に乗り出します。明治8年、外務省・内務省・大蔵省・陸軍省の合議案が成り、11〜12月に小笠原出張を行うことになりました。このとき、調査官が乗船したのも明治丸でした。明治丸が横浜を出港した翌日、英国船カルー号も小笠原に向かいましたが、その到着は、日本が住民に再度の日本帰属を宣言した後でした。
展示写真は、このときの調査に同行した写真師松崎晋二が撮影したものです。当館に所蔵されている小笠原島写真は25枚あり、多くは小笠原の風景を写していますが、一部は島民とその住まいを撮影しています。これらの写真は、明治9年に内務省から太政官に提出されました。
同年、寺島外務卿が各国に対し、小笠原島の日本統治を宣言しましたが、異議は出されず、その後明治13年には東京府の管内に入りました。
本文ここまで
ここからメニュー
メニューここまで