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6.広島の都市計画と原爆
戦争前/後における広島市内の区割を象徴的に示す、昭和初期の「都市計画図」と原爆投下後の「戦災概況図」を並べて展示しました。
近代化に伴う無計画な都市拡大への反省から、大正8年(1919)に都市計画法(法律第36号)が制定され、法の施行と同時に東京・京都・大阪・横浜・神戸・名古屋の6大都市が計画地域の指定を受けました。これに続き、広島市は大正12年の「都市計画法第二条ニ依ル市指定ノ件」(勅令第276号)によって、他の24都市とともに計画地域に指定されました。
大正14年1月に内務省から提出された「広島都市計画区域設定理由書」には、市の中心部に位置する紙屋町を中心とし、経済的・社会的つながりを含む地域を都市計画範囲とする旨が記されています。展示資料の「都市計画図」は、昭和2年に市街地建築物法に基づき、住居・商業・工業地域の決定が行われた際の参考図です。翌3年には、街路の決定をみるなど、順調に都市計画は進んでいきました。
一方の「戦災概況図」は、昭和20年(1945)12月に第一復員省資料課によって編集されたものです。赤い斜線で示された部分が8月6日の原爆投下で炎上した場所を示しており、その被害の大きさを読み取ることができます。
「戦災概況図」の「前文」には、同年10月初旬から調査に着手したと記されており、わずか3ヵ月で北海道函館市から、鹿児島県川内市に至るまで、約130都市分の戦災被害図を完成させたことになります(一部は計画のみで実際は作成されませんでした)。その目的は、「在外復員帰還者ヲ対象トシ内地戦災概況ノ一部ヲ通報スル」ためでした。当時、引揚者による第一の質問が、内地における戦災状況の確認だったといいます。
- 関連リンク
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- 全国主要都市戦災概況図(別ウィンドウで開く)
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