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1.函館五稜郭の図

日本初の洋式城郭であり、また戊辰戦争の最終決戦地として知られる函館五稜郭の図です。砲台となる五つの突角部(稜堡)を有する星型の平城で、安政4年(1857)から元治元年(1864)にかけ、蘭学者武田斐三郎の設計に基づいて築城されました。幕府から明治政府に引き継がれ、箱館裁判所・箱館府として機能しました。

その後、榎本武揚らが率いる旧幕府軍が五稜郭を占領しましたが、明治2年(1869)5月、旧幕府軍の降伏によって明治政府の兵部省へ明け渡されました。同年には箱館府に代わって、開拓使が設置されます。また、「蝦夷地」は「北海道」に改称し、「箱館」は「函館」と表記するようになりました。

明治4年には、開拓使本庁の札幌移転に伴い、五稜郭内の旧箱館奉行所が解体されました。さらに、明治6年12月に五稜郭跡地の管理は開拓使から陸軍省に移り、練兵場として使用されました。展示資料はこのときの関連文書で、同年11月、陸軍省が兵営・火薬庫等の建設のため、開拓使に函館五稜郭の引渡しを求めたものです。資料には彩色された絵図が添付されており、建物や堀の寸法が詳細に書き込まれています。

函館五稜郭は大正3年(1914)からは公園として開放され、昭和27年(1952)には特別史跡に指定されました。

函館五稜郭開拓使ヨリ請取方伺

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