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29.地域からの陳情(2) ―伊勢神宮鉱区禁止地域指定
昭和25年(1950)12月20日、鉱業法、採石法とともに、土地調整委員会設置法が成立し、翌年1月26日に土地調整委員会が総理府の外局として発足しました。鉱業・採掘業と一般公益との調整を図るため、委員会の所掌事務のひとつに鉱区禁止地域の指定がありました。
展示資料は、伊勢神宮宮域の鉱区禁止地域指定で、土地調整委員会による初の指定(指定第1号、昭和26年12月11日)にあたります。明治38年(1905)制定の旧鉱業法では、第10条において神宮周辺を鉱区とすることが禁止されていましたが、昭和25年の新法ではこれが明記されなかったため、伊勢神宮宮域でマンガンの採掘出願がなされました。再発を危惧した神宮司庁による「神宮々域林禁止鉱区指定方御願」は、三重県を通じて委員会に届けられました。
本件に係る委員会作成文書は、2分冊で構成されています。1冊目は、県知事からの申請書やその参考資料、告示案、関係省庁との往復文書、審問・聴聞会関係資料といった、指定審査に関わる事務書類の綴です。2冊目には参考資料と考えられる陳情書や写真などが含まれています。これらの陳情は委員会に直接郵送されており、宇治山田商工会議所や観光協会、伊勢志摩国立公園協会など様々な団体のものが見られます。なかでも圧巻は伊勢神宮式年遷宮奉賛会によるもので、北海道から鹿児島まで、46都道府県本部長からの署名を集めました。
土地調整委員会は、その後中央公害審査委員会と統合し、昭和47年(1972)に公害等調整委員会と改組しました。現在は総務省の外局となり、鉱業等に係る土地利用の調整とともに公害紛争の迅速・適切な解決を行っています。これまでに指定した鉱区禁止地域として、道後温泉や青函トンネル、石見銀山遺跡などがあげられます。
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