ところで、公布原本への書き込みについて、回想や小説をもとに、佐野小門太が浄書した際に書き忘れたという説が流布していた時期もありました。このことに対し、後年佐野は書簡に「小生が誤って書き落としたと解せられるような表現をしていることには私には断然釈然としません」としたためています。
佐野小門太の書簡(写真点数:5点)ここから本文
9.終戦の詔書 ―御署名原本
「堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」の文言で知られる昭和20年(1945)8月15日の玉音放送。ポツダム宣言受諾を表明したこの「終戦の詔書」は、前日の閣議において決定されました。
8月14日の閣議当日は、数回の休憩を挟みながら詔書案の修正が続けられました。閣議書の綴りには、この詔書案とともに、その原案やメモ類が綴られており、議論を重ねた跡が読み取れます。また、詔書案にも4ヶ所の修正指示がなされています。
閣議と並行して、一方では内閣理事官の佐野小門太(1891-1976)による公布原本の浄書が進められていました。この浄書作業は、通常では閣議決定後になされるものですが、時間の関係で閣議決定を待たずに始められました。上述した詔書案と同様、公布原本にも修正を加える必要が生じましたが、やはり書き直す余裕がなく、鳥の子紙を削り、あるいは括弧を用いて字句を書き足すという対応がとられました。
- 関連リンク
- 石渡隆之「終戦の詔書成立過程」(『北の丸』第28号)(別ウィンドウで開く)
- 関連資料公布原本への書き込み
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