室戸台風が上陸した時間帯(昭和9年9月21日午前6時)の天気図です。
天気図原図は関東大震災で焼失したため、当館には、大正12年(1923)以降の天気図が移管されています。時期によって異なりますが、「天気図原図」「アジア太平洋高層天気図」「北半球地上天気図」「極東天気図」などの天気図があります。
天気図原図・昭和9年9月(写真点数:2点)ここから本文
昭和9年(1934)9月21日に、高知県室戸岬で911.6ミリバール(現:ヘクトパスカル)の中心気圧を記録した室戸台風は、その後中国・関西地方を縦断し、大きな被害をもたらしました。上陸時の中心気圧は、正式な統計がとられるようになった昭和26年(1951)以前の記録なので参考扱いですが、現在においても観測史上最低とされています。
台風の通過が児童の登校時間と重なった大阪では、多くの小学校が倒壊し、児童が命を落としました。ここでは、小学校における被害と復旧状況を示す資料として、写真、被害図、国庫補助台帳を展示しました。
倒壊した校舎が後方に見える天王寺第一小学校児童の写真は、大阪府が編纂した『暴風水害状況写真』に掲載されていたもので、「災後残物ノ机ヲ集メ校庭ニ於テ授業ヲ行フ」との説明書きが添えられています。大阪市の記録(学事統計や風水害誌)によると、天王寺第一小学校の被害建物坪数は770坪で、木造校舎は全壊しましたが、幸いにして児童と教員の犠牲はありませんでした。
災害の翌月である10月31日に、文部省は訓令「非常災害ニ対スル教養ニ関スル件」を出し、防災意識の向上や建築の整備、実地訓練の必要性などについての方針を示しました。また、御真影を持ち出そうとして亡くなった校長や、自身を犠牲にして児童を守った教師たちの行動は美談として語られ、大阪にはこうした殉職教員を祀るための「教育塔」が建設されました。
室戸台風が上陸した時間帯(昭和9年9月21日午前6時)の天気図です。
天気図原図は関東大震災で焼失したため、当館には、大正12年(1923)以降の天気図が移管されています。時期によって異なりますが、「天気図原図」「アジア太平洋高層天気図」「北半球地上天気図」「極東天気図」などの天気図があります。
天気図原図・昭和9年9月(写真点数:2点)※写真をクリックすると拡大画像が表示されます
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