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27.企業からの申請 ―大正期の東京大阪間高速電気鉄道

国土交通省の前身である運輸省から移管された鉄道関係文書は、当館において閲覧頻度が高い資料群のひとつです。明治19年(1886)〜昭和60年(1985)に作成された各地の民間鉄道に関する許認可の文書が残されています。

当館が所蔵する鉄道関係文書には、「地方鉄道法」(大正8法律52)に基づく免許の申請に関する文書が多く含まれています。地方鉄道法第12條では、地方鉄道業の営業にあたって、(1)起業目論見書、(2)線路予測図、(3)建設費概算書、(4)運送営業上の収支概算書を主務大臣に提出するよう定められました。これらの書類は各都道府県を経由し、地方長官の意見書「知事副申書」とともに鉄道省(鉄道院/運輸省)に提出されました。

ところで、当時の民間鉄道はあくまで鉄道国有法(明治39年〜昭和61年)の例外という位置付けであり、省線の営業を妨げない「一地方ノ交通ヲ目的トスル鉄道」に限って認可されました。民間鉄道の敷設にあたっては、既設路線と重複しないといった様々な条件を満たす必要があり、「却下」された申請書も数多く存在しています。

明治40年(1907)から昭和戦前期にかけて、数回の申請が「却下」された日本電気鉄道は、このひとつの事例です。大正13年(1924)の「第五願書」からは、建設費2億円をかけ、東京府荏原郡品川町〜大阪府東成郡野田村を6時間で結ぶという壮大な計画であったことがうかがえます。さらに将来的には青森〜下関間の運行も視野に入れていました。

こうした日本電気鉄道の度重なる申請は、「鉄道国有法ノ精神ニ反シ且成業覚束ナキ理由ニヨリ却下」されましたが、戦中の「弾丸列車」構想や、戦後の新幹線建設につながる発想であったともいわれています。

東京府荏原郡品川町、大阪府東成郡野田町間電気鉄道敷設願却下ノ件

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