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[請求番号 多008391・多703368・多004342]

教授職柳河春三明細短冊(きょうじゅしょくやながわしゅんさんめいさいたんざく)

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柳河春三の幕臣としての履歴は、当館所蔵の江戸城多聞櫓文書(たもんやぐらもんじょ)に含まれる「明細短冊」(めいさい・たんざく)等によっても知ることができます。

江戸城多聞櫓文書は、幕末維新期の混乱で江戸城多聞櫓に未整理のまま残された文書の総称。幕末の(江戸前期の文書も若干あり)幕府の公文書がほとんどで、その数46,600件にのぼりますが、うち6,600件近くが「明細短冊」です。

展示資料「教授職柳河春三明細短冊」は、慶応3年(1867)に作成されたもので、春三が同年7月12日に開成所の教授職を拝命するまでの履歴や俸給等が記されています。開成所教授職当時の柳河春三の禄は100俵。ほかに手当として10人扶持と金20両を給され、開成所構内に居住していました。

明細短冊の記述内容は役職によって異なります。参考に展示したのは、男谷精一郎と榊原鍵吉の明細短冊。男谷精一郎(おだに・せいいちろう 名は信友。1798-1864)は、幕臣(旗本)で剣客。平山子竜(→展示資料29)に師事し、本所亀沢町に道場を開き、講武所で剣術師範を務めました。榊原鍵吉(さかきばら・けんきち 名は友善。1830-94)は男谷精一カに入門して剣術(直心影流<じきしんかげりゅう>)を学び、講武所剣術師範役を務めたのち、講武所の廃止(陸軍所の設置)に伴って遊撃隊頭取となり、明治維新後は撃剣会を興行して剣術の振興に努めました。


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