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[請求番号 155-0309]

代氏伝家抄(だいしでんかしょう)

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江戸後期の文人として大田南畝と並んで著名だった幕臣に、屋代弘賢(やしろひろかた 1758-1841)がいます。通称は太郎吉(のちに大カ)。名は詮虎。のちに詮賢、弘賢、詮丈と改め、また輪池と号しました。

御目見以下の幕臣の子として生まれた弘賢は、幼少の頃から書道に精進し、天明元年(1781)に西丸に出仕。寛政5年(1793)、松平定信に認められて「奧右筆所詰支配勘定格」となり、文化元年(1804)に「奧右筆所詰勘定格」(御目見以上)に昇進しました。幕臣として『藩翰譜続篇』(はんかんふぞくへん)『寛政重修諸家譜』(かんせいちょうしゅうしょかふ)『干城録』等の編纂に従事したほか、大著『古今要覧稿』(ここんようらんこう)(分類体の百科全書)を編纂した功績が知られています。

国学者、歌人、書家、蔵書家(蔵書名は「不忍(しのばず)文庫」)として知られる弘賢は、塙保己一、曲亭馬琴、大田南畝、平田篤胤など江戸の一流の知識人と広く交わり、さまざまな分野でその博学を発揮しました。天保12年(1841)没。享年84歳。

『代氏伝家抄』は、文化13年(1816)、59歳の弘賢が、祖父と母の50年忌にちなんでみずから出版した、亡き家族の筆跡集。母の13歳の時の書をはじめ、祖父母や父の遺墨を正確に模刻し、あわせて幼い自分に書道や読書の手ほどきをしてくれた母と祖父に対する感謝の言葉を記しています。

展示資料は、和学講談所旧蔵。全1冊。


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